四十年に及ぶこれまでの研究活動を振り返ると、大きく四期に区分することができる。第一期は、博士論文作成のために、長野県菅平高原で一〇年間にわたって実施した、冷気流の研究。第二期は、大学教員として赴任した北海道オホーツク海沿岸地域における流氷の研究。第三期は、一九九〇年に千葉敬愛短期大学に赴任してから開始した酸性雨の研究である。そして第四期は、還暦を迎えてから始めた、ネパールにおける気候環境・ヒ素汚染に関する研究である。
私の研究は、いずれも多くの研究協力者によって支えられてきた。第一期の研究においては、大学院の同僚・後輩・学部生の協力を得た。第二期の研究においては、当時大学で顧問を務めていた「自然科学研究会」の部員、地域の有志によって結成された「オホーツク流氷研究会」の会員の皆様の協力を得た。「オホーツク流氷研究会」は、トヨタ財団からの研究助成を受けて、大きな成果を上げることが出来た。
第三期からは、千葉敬愛学園にお世話になってからの研究である。千葉県は、京葉工業地帯に隣接し、日本でも大気汚染の深刻な地域である。短大の学生はほとんどが女子で、男子学生のような野外調査にはあまり向かない。
そこで、研究室内における分析を主とした、酸性雨の研究に取り組むことにした。酸性雨の研究で最も重要なことは、不純物の入らない酸性雨を採水することである。これは、簡単なようで、意外と難しいことである。ゼミ生は、毎日交代で、昼休みに蒸留水で洗浄した五リットルのビーカーにたまった酸性雨を採水した。採水時刻と採水量をノートに記録し、再び蒸留水で洗浄したビーカーを、観測所内の所定の場所にセットした。このことを、国際学部になってからも先輩から後輩へと受け継ぎ、一〇年以上にわたって継続した。この時のノートは、私の宝物として、今も大切に保管している。
採水した酸性雨のpH、EC(電気伝導度)の測定、イオンクロマトグラフによる成分分析のためと前処理などは、ゼミの時間に実施した。酸性雨は、大学周辺の環境モニターの方からも届けられ、これらの分析結果については、ゼミ生がそれぞれの地域を担当して、卒論としてまとめた。
最後の第四期は、還暦を目前にしてのエベレストへの登山から始まった。途中で高山病にかかってしまい、登山はあきらめたが、翌年からネパールでの環境調査を開始した。たまたまこの頃から国際学部へのネパール人留学生が急増し始め、帰省した学生が現地調査に参加してくれたり、調査計画作成に協力してくれたりした。彼らの協力もあって、二〇一一年度から二〇一五年度までの五年間にわたり、科研費による海外調査「ネパール・テライ低地におけるヒ素汚染の実態と対策に関する研究」を実施することが出来た。
このように、これまでの長きにわたり、たゆまぬ研究活動を進めて来られたのは、終始学生の協力に励まされてのことであったと、感謝申し上げる次第である。