小学3年で始めて以来、野球一筋だった自分。甲子園には届かなかったものの、主将を務めた銚子商業時代には高校野球を完全燃焼。
「もう野球はやり尽くした」 そんな思いから、これからは選手ではなく指導者を目指そうと考え、教員免許をとるために進学したのが敬愛大学でした。
が、高3の夏の大会が終わってから、いざ半年も野球から離れてみると、内心、野球が恋しくなっていたというのも本音。大学の入学式の日に菅谷監督に「うちでやらないか」と誘っていただいたことがきっかけとなり、野球を再開することとなりました。
とはいえ、他の同級生より入部が遅かった自分は、1年の春の大会はメンバー外。
実をいうと、小学校で野球を始めて以来、ベンチ入りしなかったことは一度もなかったため、ベンチ外から試合を見るというのは自分にとって初めての経験。菅谷監督はそんな自分に、「試合を見ながら気づいたことなどを、何でも片端からノートに書いてみろ」と課題を出されました。これが本当に大きかった。
というのは、試合を一歩引いたところから冷静に観察し続けることで、選手の動きや相手チームの戦略など、これまで気づかなかったことに気づいたり、野球についてより深く考えることができるように。
春にそうやって充電期間を過ごした自分は、1年の秋の大会にはキャッチャーとしてレギュラー入り。「今シーズンは絶対に2部優勝し、1部昇格できる!」と、自信満々で参戦しました。そしてチームはそのとおり、土つかずの10連勝で2部優勝!
と、思惑どおりだったのはそこまでで・・。1部昇格のかかった入れ替え戦の初戦を、自分のミスで落としてしまったんです。これは自分に慢心があったためだと、それはもうめちゃめちゃ落ち込みました。
でも、入れ替え戦は連戦。凹み続けている場合じゃないと、その日のうちに頭をスカッと丸めて坊主頭に。
翌日、その頭を見た先輩方に大笑いされ、同時に励ましていただき、本当に有り難かったです。そして気持ちを切り替え頑張りましたが力及ばず敗退。1部昇格のチャンスをものにできず、そのシーズンは終わってしまいました。
4年の先輩方にとっては最後の大会だったため、心底申し訳なくて。人は常に謙虚でなければいけないと痛感させられた、忘れられない思い出です。
その後、自分は3年までで現役生活に終止符をうち、4年からは菅谷監督の下につき、学生コーチをさせていただきました。この時も、最初は周囲から反対されました。が、指導者としての勉強を早く始めたかった自分のわがままを最終的に受け入れてくださった菅谷監督には心から感謝しています。
ただ、学生コーチという立場での1年間は、苦しいことだらけでした。後輩はもちろん、同級生に対しても指導者という立場で厳しくあらねばならず、教えることや信頼関係を築くことの難しさを徹底的に勉強させてもらいました。この時の経験も何よりの大きな収穫となり、今の自分の財産となって役立っています。
そして現在の自分は、大学の職員として勤務しながら、野球部のコーチを続けています。平成21年春季リーグで1部復帰した当野球部の次なる目標は、まずは千葉県で頭をとること! 最終的な目標はもちろん日本一ですが、まずは県トップを目指し、今後も一層頑張ります!
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