大学を卒業してから17年間ばかり、総合人材サービス会社に務めていましたが、2014年に実家の家業である木材加工会社に入りました。長男でしたが家業を継ぐつもりはなく、自分は外の世界にいようと決めていたのですが、家族が病気をしたことがきっかけで決断しました。祖父の代からなので、私は3代目になるのでしょうが、親父は現役バリバリで、私は後継者などという大層なものでなく、ペーペーとして頑張っています。
大学時代は、青木英一先生のゼミに入っていて、このゼミでの経験が、前職にも今の仕事にも役立っています。ゼミでは、浜松のさまざまな産業について現地で調査するゼミ合宿があったのですが、その時に先生が徹底して教えてくださったのが「企業に訪問する前には、聞くことを最低40から50作っておきないさい」。つまり事前準備が重要なのだということで、卒業してから、その教えの大切さに日々気付かされています。そうそう、学友会のメンバーとして大学祭の準備に携わったり、新入生の学外研修旅行でチューターやったりしたのも楽しい思い出ですね。あと、卒業式に青木・牧野先生の研究室で記念写真撮ったのも思い出ですね。
実家に戻ってかれこれ3年半。木材加工業は木材需要の減少で、業界的には厳しいのですが、木に携わる親の背中を見て育ちましたし、学生時代もサラリーマン時代も休みになると工場に手伝いに行くなどして慣れ親しんできた家業なので、この家業を守り、業界をもり立てたいという思いは強く持っています。木は日本の文化…なんて言うと口幅ったいですが、日本人は木に囲まれて育ってきたようなものなのですから、木の文化を大事にしていきたいですよね。会社と家は木場にあり、木場はその名の通り材木に関わりが深い土地なので、この場所を守っていきたいという思いもありますね。江戸三大祭りの一つで、3年に一度行われる富岡八幡の例大祭があって、私は御神輿を毎回担いでいます。小生がかつぐ下木場の御神輿は昭和26年に制作した時に、祖父も寄付をしている大事な御神輿なんですよ。
それから、建築用の木材加工をする傍ら、ストラップや置物などの小物を作って人にお分けしたりしています。フェイスブックやインスタグラムで紹介しているで、よろしければ「伊藤良長」か「yoshinaga ito」で検索してご覧になってください。
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